第4回 実証と虚証
心身の健康を維持するためには、体や心が疲れていたら、その疲れに気が付き、休息をしたり気分転換をして疲れを取り去る必要があります。
しかし、不調に気が付かなかったり、気が付いたとしても疲れを取ることができないこと、よくありますよね。
この、不調に気が付きにくい人のことを東洋医学では「実証」の人、と呼んでいます。そして、不調に気が付いて何とか回復しようと思いはするもののなかなか回復せず慢性的に疲労を感じている人のことを「虚証」の人、と呼んでいます。
不調に気が付いて休息を取り、不良から回復できる人のことを「中庸」と呼んでいます。
不調に気が付きにくければ、
- 比較的体力があって体や心が疲れていても疲れに気が付きにくい
- 無理をして遊んだり働いたりし続けることが出来る
- 病気が重くなるまで発覚しにくく自覚症状が出たときには手遅れが多い
というわけです。
そして、少しの変化で不調を感ていれば、
- 比較的体力がなく体や心の疲れに敏感ですぐに不調を感じやすい
- 無理をするとすぐに具合が悪くなる
- 軽度で病気に気が付きやすい
というわけです。
猛勉強をしたり猛烈に働いても元気でいられる実証は競争社会では有利に思えるかもしれません。しかし、本人に自覚がないだけで、疲れは溜まり続けているので、ある日突然、パタンと倒れます。
ですから、実証も東洋医学的には「病気」または「病気に近づいている状態(未病)」なのです。
この、実証と虚証という分析軸は、どれくらい積極的な治療をすることができるかを判断するために考え出された分析軸です。
体力がある人には体に負荷がかかる治療・投薬を選択することができます。体力がない人には、体に負荷が低い治療・投薬を選択する必要があります。
そのため、治療を始める前の問診で、患者さんの体力をしっかりと見極めるための参考に作り出されました。
東洋医学の入門書を読んでいると、初めの方に「がっちりとした肩幅が広くて色が浅黒くて眉が太い」イラストと「肩幅が狭くなで肩気味で色が青白く目が細い」イラストが並んでいるページがあります。
全社が実証、後者が虚証の説明です。
しかし、上述のとおり、主に体力を判定するための分析軸なので、外見以外にも「脈の強さ」「声の強さ」「既往歴」「健康への自慢の程度」など、さまざまな情報を総合して考えます。
肩幅が狭い実証の人もいれば、声がよく響く虚証の人もいます。
声が響くから実証、ではなく「体力を実際以上にあると過信しているから実証」なのです。声が細く弱いから虚証、ではなく「体力があまりないから虚証」なのです。
虚証の人は、だいたい自分で虚証だと分かります。しかし、実証の人は自分が実証ではなく「中庸」だと考えている方が大半です。
ですので、この記事を読んで自分は中庸だな、と思われた方、是非一度お近くの鍼灸院や漢方薬局で、ご自分が本当に中庸なのか、それとも実証なのか、確認してみるとよいかと思います。
最後に、昨日は、鍼灸国家試験受験者の皆さん、受験お疲れ様でした。ここで気を抜かず、卒業試験頑張ってください!
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